分析家の独り言 498(私が私であることは、生命の充実感)

-1月25日、インテグレーター養成講座Ⅰ ( 性格論Ⅱ 躁うつ質 )に寄せて-


私達の乳児期頃には、まだ自己意識(私が私である意識)はほぼなく、

母の判断で動き、母の自我で動くしかありません。

その後、心身の発達と共に母と未分化だった子どもは、母親と別個体である認識を持ち始めます。

しかし、母親が幼児期以降も子どもの成長に合わせず、未分化な状態を続けていくと、

子どもは自己意識を持てません。

母親が子どもを自分とは違う存在であると認識せず、子どもが成長していくことを寂しいと感じ、

自分から離すまいとしてしまったら、子どもは母の想いを満たすために生きようとします。

これを 「 子どもは母に呑み込まれた 」 と表現します。

以後、子どもは母の思いを満たすことで自分が自分であると思います。

更に、母の想いを満たせないと、自分ではないと思ってしまいます。

本来は、自分の想いを満足させるために動くのが正常な在り方です。


子どもに吟味能力がない時には、母や他者に言われるままに行動します。

子どもの成長とともに、それまで子どもの自我を代行していた母の自我を抜かなければいけません。

ですから、子どもが母親を独占し「あれして」、「これして」と振り回すことが正常です。

しかし、これを一般には子どもの「わがまま」というでしょう。

この時母親は子どもの言う通りに動き、振り回されることです。

そうすれば、子どもは「私は私」という自己意識を持ち、自分を誰にも譲り渡すことなく、

子どもの主体が本来居るべき子ども自身の場に納まります。

「私は私、母は母」と、母を自分から切り離して対象化し、

そこに子どもの完全な主体性が生まれます。

こうして途切れることなく、自分が自分であり続ける意識、これが充実感となります。

自分の主体に他者が入り込むと、不快感や落ち着きの無さ、

イライラなど心と身体に違和感を生じます。

主体性を他者にあけ渡した人は、安心して寝られません。

家や部屋はその人の精神内界ですから、

自分の家に他人が勝手に居るようなもので落ち着きません。

自己意識に満ちていることは、生命の充実感であり、

反対に自己意識が少ないほど虚無感に陥ります。

それが後にいろいろな形で子どもの問題行動として出てきます。

しかし、一般には精神の発達がどのようなものかを知らないので、

後に問題が起きても、まさか乳幼児の時代に欠けたことが原因であるなどとは思いもしません。

母を独占し、振り回したことがあるかはとても大事なことです。



            インテグレーター(精神分析家) 登張豊実


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