分析家の独り言 472(父とは:みのもんた氏謝罪会見より)

今月11日に窃盗未遂容疑で次男の御法川雄斗容疑者が逮捕されたタレントのみのもんた氏が26日、都内で謝罪会見を開いた。


「いけないことかもしれないけれど私は殴るタイプです。いやなら出ていけというタイプの父親でした」

いけないことと思うのなら、殴ないこと。

殴って育つものは何も無い。

攻撃性と反発心を生むか、萎縮するだけとなる。

「いやなら出て行け」といわれたら、子どもが親の言うことをきかざるを得ない。

小さければ小さいほど、自活出来ない子どもに言うことを聞かない選択肢は無い。

威嚇と脅しで言うことをきかせただけでは父とは言わない。

それは独裁者である。


 「彼とは話してません。1度だけ自宅に会いに行きました。(僕からは)何もしゃべりませんでした。

顔だけ見て5分で出ました。彼は玄関口で正座して、板の間で僕の顔を見て『ごめんなさい』と。僕は無視して顔だけを見て出た」

「息子に掛ける言葉がなかった」とも言ったみの氏。

報道番組では饒舌に語るのに、父として息子に語る言葉を持たなかったのか。

息子さんはどんな気持ちで父に謝罪にきたのだろう。

みの氏は、息子のためにバッシングを受け、やりたい仕事を降板しなければならなくなり腹立たしかったのか。

それが「最後に息子に言いたいことは」と投げ掛けられると、「ばかやろう!」と語気を荒げて息子に向けて言い放った言葉だったのかと思う。

「何か間違っていたんじゃないのか、不完全な形で世に送り出してしまったのか、だとしたら父親としての責任があるな」

と思ったのなら、父として息子と話さなければ何も可決せず、息子さんはまた今回のような事件を繰り返すだろう。

息子は父親に認めて貰いたいのである。

その息子の話を聴き、受け入れること。

みの氏は自分が基準であり、社会的地位の高い位置から息子をみて、息子の価値を認めていないのではないか。

息子をみるとき、父は自分の存在を計算にいれてはいけない。

その子を見ること。

しかし社会的地位が高くなると、上からこどもを見てしまう。

そうすると不祥息子になる。

稼ぎとか社会的地位など外して価値付けないで、その子の人となりを見る。


父=言語である。

言葉で子どもを説得し納得させ、正しい方向へ導くのが父の役目。

父の言語は→理性となり→論理性→法、掟、ルールとなる。

このため、父は厳しくていい、しかし恐い必要はない。

威嚇と暴力を使い無理矢理言うことをきかせるのでは、ただ恐い父である。

厳しさを持った父とは、感情的欲求に左右されず思慮的に行動し、真偽・善悪を識別する能力を持ち、

更にきちんと筋道を立てて物事を考えるため、曖昧さがなく、そういった意味で甘えがない。


息子さんが社会の法を犯し、窃盗未遂容疑で逮捕されるに至ったということは、

残念ながらみのもんた氏は、家庭における父の役目を果たしていなかったと言わざるを得ない。

社会的に有名であったり立派なことと、父として立派なことは違う。

父というもが問われる事件である。


インテグレーター(精神分析家) 安朋一実


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